2021年のはじまりに

終わり方(幕の引き方)と進化し続けること。この2つは、自分の中でずっと取り組み続ける永遠の課題だと感じています。

2020年12月31日、全力で走り続けた21年間の活動に、ていねいに時間をかけて終止符を打った嵐の配信ライブを見ながら、あらためてそう思いました。「悔いはない」「欲を言えばもっともっと…」交錯するメンバーの気持ちや表情を息をつめて見つめながら、じゃあ、私はどうなの?と。今、目の前のことを大切に、を合言葉に過ごしてきたけれど、これからどうしていきたいの?と。

2009年に大学院に入ってから、干支がぐるりと一周しました。修士課程2年間、博士課程3年間、特任助教1年間、助教2年間、准教授4年間…恵まれていて楽しくて、でもすごく必死だったはずの日々も、数えてしまえばあっという間の12年間。その時々は真剣に、もう無理かもしれないと思いながらも踏ん張って、どうにかこうにか這い上がろうと奮闘してきたつもりです。それでも、やり残したこと、これから挑戦してみたいことは山ほどあって、潔く終われるほど進化(成長)していない自分に、歯がゆさと苛立ちを感じ続けてきました。

肩書や身を置く環境が変わっても、やりたいことの根っこは常に同じで、「かかわりの中で問いながら学ぶ」ことの楽しさをたくさんの人に実感してほしい、その一念に尽きます。そのために、最適だと思う方法はすべて試したいし、今の自分に足りない力はできる限り身につけたい。これは大事、これは関係ないと選り好みせずに、時間が許す限りは何でもやってみたい。一見、無関係に見える物事でも、アンテナを立てて広くキャッチしたい。2021年に入ってあらためて言葉にすると、普段、私が心がけているのはそういうことなのかなと思います。

いつか、自分で幕引きをするときが来たら、突然、そのときが訪れてもいいように、「本気で立ち向かっていく」。今というこの瞬間も大切だけれど、これからの日々をどんなふうに歩んでいきたいのかも、少しずつ考えてみたい。ただし、力み過ぎず柔軟に、風が吹いても折れないしなやかさを忘れずに。

2021年、愛しい存在がひとつなくなって、さみしい気持ちを振り切れずにいますが、誰かの力になるような仕事や研究を形にしていけたらと願っています。