「専門」と「汎用」はどのように位置づくのか

坂本尚志 (2017) 専門教育は汎用的でありえるか. 藤本夕衣, 古川雄嗣, 渡邉浩一 (編) 反「大学改革」論. ナカニシヤ出版, 京都, pp. 171-187

 

人文社会系(一部、学際系を含む)の学部ゼミナールでは、専門性の習得を通じて”付随的”に汎用的技能が習得される。修士研究、博士研究を通じて抱き続けてきた大きな仮説について、あらためて考えを揺さぶられています。2年前の博士論文の最終公聴会でも、そこに至るまでの長き過程においても、「なぜそう論じられるのか」と繰り返し問われてきましたが、坂本 (2017) が本稿の中で展開しているほど緻密かつ鮮やかに、持論を強く押し出せなかったことがあらためて悔やまれます。

「…汎用的能力は、専門領域や職能の間の円滑な移動を可能にする自由を提供する」という一文を目にしたとき、そう、こういうことが言いたかったのだと強く強く共感しました。というのも、これまでにわたしが調査でかかわってきたゼミナールに関して言えば、文献を輪読するにしても自分のテーマで調査や実践を行うにしても、教員や他のメンバーと議論をする中でアイディアを形にしていくためには、ある種の「型」をなくして前に進むことはできないように感じられたからです。坂本 (2017) も述べているように、「専門性と汎用性が両立可能であり、しかも専門性を身につけることが汎用性へと至る一つの方法ではないか」という見方に立つと、ゼミナールでは教員の”(強烈な)専門性”を素地として各種の活動が提供されており、学生はその中で書籍や論文を読み、書かれている情報を整理しながら自身の問題意識を自覚し、ときにはフィールドに出てデータを収集、分析するといった”汎用性”のあるステップを踏みながら、新しい提案を産出していると捉えられます。すなわち、専門性を深めるために汎用性が求められ、汎用性が内化される過程で専門性の理解が十分なものになっていく、そういう往還的な関係性が重要なのではないでしょうか。

「教養教育と専門教育は対立する概念ではなく、また、ジェネリック・スキルという視点から考えると両者は連続性をもつ」という坂本 (2017) の主張を支持しているからこそ、わたしはゼミナールという専門教育を研究し続けながら、初年次の情報リテラシー教育という教養教育に価値を見出せるのだと、あらためて自己理解が深まりました。